日本の歴史や日本人の特徴をキーワードでまとめました。あなたもコテコテの日本人であることが分かります
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日本ってどんな国でどんな事考えるのか。世界の常識と日本の常識の差は何なのか。“過去”を知ることで“今”が説明でき、“未来”の展望へとつながります。

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世界の歴史


狡兎死して走狗煮らる(こうと しして そうく にらる)のお話。

私財で集めた傭兵を神聖ローマ皇帝に提供し、
皇帝軍総司令官となった傭兵隊長ヴァレンシュタイン(1583-1634)

彼は、ある人に「君は2万人の兵を養うことができるか?」と、
問われてこう答えたという。

「いや、できない。だが、4万人ならば可能だ」

ヴァレンシュタイン軍は、「軍税」によって支えられていた。

これは、略奪を免除する代わりに都市から取り立てる
強制的な安全保障税のようなものです。

2万の兵で包囲しても都市は降伏せず、
軍税を取り立てることはできないのです。

でも、4万であれば都市を降伏させることができる。

ヴァレンシュタインが、軍税システムを機能させるには、
一定以上の兵力が必要だったのである。

ヴァレンシュタインは、取り立てた軍税でさらに傭兵を増強。

ヴァレンシュタイン軍は最大時15万人に膨れ上がった。

最大のライバルである
スウェーデン王グスタフ2世アドルフも戦死させ、
彼を止められる者はいなくなったのです。

これが皇帝の疑心を生み、
ヴァレンシュタインは自分の君主に暗殺されてしまう。

「狡兎死して走狗煮らる(こうとししてそうくにらる)」
ウサギが死んでいなくなると、
用済みの猟犬は食われてしまうという意味。

成功し過ぎず適当にライバルや課題を残しておいた方がいい、
ということわざです。

気になるあの女性を絶対落とす!! ローマ皇帝も愛用した秘伝のフェロモン香水魅倍(メイペイ)...

やはりそうだったかとしか言えない画像。
探せばあったのですね。

日韓併合前後 朝鮮半島写真館
>威容を誇る南大門もあります。

大日本史番外編朝鮮の巻 

画像の方については、事実なのでしょうかね。

韓流ブームにより、
TVではきれいに着飾った王朝衣装のイメージしかないですが、
庶民の生活や街並みがどうなのか気になってました。

これを見て朝鮮半島の方がどう感じるのでしょうか。

よく聞く話ですが、
自国や自分たちに不利なこと、隠したい事実などを隠したり、
自国民に話させない、話さない特徴があるようです。


私はいつも、歴史の事実を知りたいために、
いろんな情報収集をしてます。


事実を知ると、今に繋がるもの、納得できること、
そして将来の傾向も見えてくることがあります。


事実かどうか調べる時、
ときにショックな出来事や画像にも出会うのです。


中国と台湾、歴史も関係もよく分からないですね。

それぞれ何に怒っているのか。何が許せないのか。

どっちが本物?どっちが中華人民共和国?

中華民国

中華民国の歴史

古来の中国の保守本流は国民党へ引き継がれたのか。

台湾から見ると、中国はただの中共なのか。

でも、その台湾って誰のことを指しているのか。
内省人?外省人?

台湾って国家なの?中国なの?どこと国交?

中華民国って?TAIWAN?チャイニーズタイペイ?

台湾と中国の関係はいまだによく分からない。

台湾人の金美麗さんは、台湾独立を主張しているそうです。

いわゆる「現地人」だとか。

日本人として生きることにし、日本に感謝をしており、
「占領している中国人は、本土に帰れ!!」と主張しているようです。

金美麗さんによると、
従軍慰安婦のことなんか台湾では聞いたことがないとも。

以前、蒋介石の軍隊が台湾に来たときの無法振りを見て、
日本との違いを自覚させられ、
インフラ整備も教育も、日本の方がよかったという
お年寄りの話を聞いたことがあります。

本来の台湾現地人の生活は悲惨だそうです。

できれば、独立して「日本に帰属したい」
と思ってる人も沢山いるほどだとか。

日本式神社も現存していますし、
日本人の作った家をいまだに使って住んでいる人もいるとか。

台湾の人々は終戦まで日本人でした。

植民地人ではなく、日本人と同じように教育を受け、
日本人として生活していたと聞いています。

20年くらい前に台湾に旅行に行った時、
ガイドさんは、70代くらいの日本語ペラペラのおじいちゃんでした。

自分は日本人だったと。

バスの中で、「さらばラバウルよ」を歌ってましたよ。

日本による台湾統治、いわゆる植民地化されていた側の人が、
自ら歌うのにはビックリしました。

この日本人だったことや、日本の言葉を話せる、
日本の歌を知っていることなどをこんなに強調されると、
こっちも戸惑ったほどです。

能天気で楽観的なのか、日本には別に悪い印象はないのか、
親日的なのか。

中国や朝鮮半島の人がヒステリックなだけなのか。

2回ほど台湾には行きましたが、親日的なので、大好きです。

歴史事実の捏造とヒステリックな中国と挑戦半島には辟易しますが、
台湾に対しては、贖罪意識は自然と沸いてくるものでした。


金美齢の直言

アジアの女性指導者たち

金美齢と素敵な男たち


マサダの砦での戦いは、ローマ帝国とユダヤ人の戦いでしたが、
3大宗教やそれに民族が絡んだ戦いは非常に多いです。

ユダヤ人とは、イスラエルの国の人、世界中のユダヤ人を指し、
宗教はユダヤ教

キリスト教徒の宗教はキリスト教

イスラム教徒は、アラブ人、東南アジア、北アフリカなどの民族がいて、
宗教はイスラム教

聖地(3つとも同じ)、中東問題(ユダヤとイスラム)、
十字軍(キリストとイスラム)、流浪の民(ローマとユダヤ)、
パレスチナ(イスラムとユダヤ)・・・

神の子であるイエス・キリストはユダヤ人

日本には理解できない壮大なテーマであり史実です。

これらの宗教は生活の基盤となっており、法律そのものだったりします。

民族・宗教問題でテロが頻発していますが、
西と東とでにらみ合った冷戦時代の方が統制がとれていて、
ある意味平和だったかもしれません。


イスラエル国防軍の入隊宣誓式が、
年に何度かこのマサダ頂上で行われます。

兵役に徴兵された男女青年が訓練期間を終え、
所属部隊に配置されるときに行われるのです。

夕闇に包まれるころ、数百名の新兵がマサダ頂上の広場に集合整列。

周囲に松明が燃え上がります。

純白の下地を背景にダビデの星を中心に置き、
上下に祈祷用肩掛けの二本の帯を配した国旗掲揚に続いて、
星空のもとで旧約聖書ヨシュア記第一章が朗読されます。

次いで一人ひとり部隊長かの前に進み出て、右手に銃、
左手に旧約聖書を受け取り、それを胸に当て忠誠の誓いを繰り返します。

その後、全員不動の姿勢で国家「ハティクヴァ」を
軍楽隊の演奏に合わせて斉唱。

それとともに暗闇のなかからヘブライ語の火文字が燃え上がります。

マサダは二度と落とされない」と。

この感激はイスラエルの若者にとっては生涯忘れ得ぬ宝となり、
語り継がれるのです。

 


マサダというのは、ヘブライ語で「要塞」の意味です。

西暦73年、ローマ軍に追いつめられた
ユダヤ人グループ960名が集団自決した場所として、
今日のユダヤ人にとっても忘れられない場所となっています。

高さが400メートルの山です。

TBSのサイトに簡単な画像があります。

頂上は広い台地となっています。

そこには倉庫や貯水槽、シナゴーグ跡などがありました。

シナゴーグというのは、ユダヤ教の会堂の事です。

聖書には「会堂」の名で登場し、ユダヤ教会と俗称されることも。

キリスト教の教会の前身です。

西暦70年にエルサレムがローマ軍によって陥落させられた後、
ユダヤ人の最後の拠点がここでした。

3年ほど持ちこたえましたが、西暦73年にはここも陥落、
その際、ここに立てこもっていたユダヤ人は、
ローマ軍に降伏するより、集団自決を選んだのです。

マサダは、イスラエルにおける数少ない世界遺産の一つです。

現在のイスラエル・ユダヤ人にとっては、

マサダの悲劇を繰り返すな!」

との思い、つまりマサダ・コンプレックスなるものがあるようです。

ユダヤの亡国を思い起こさせるマサダは、
今日ではイスラエルの永遠を願う場所ともなっているのです。


サラディンは、十字軍国家を排除するため大軍を指揮して
シリアに向かい、三方を包囲し、1187年エルサレムに入場しました。

彼は、十字軍国家の国庫を押さえ、その財産をすべての貧民に
信仰の別なく分け与え、兵士に一切の略奪・虐殺・キリスト教会の
破壊なども禁じました。

これは十字軍のエルサレム占領とまったく対照的であり、
キリスト教徒もサラディンを尊敬したそうです。

〜おまけ〜

一説によると、フットボール(サッカー)というのは、
十字軍で勝利したキリスト教徒が勝利を祝福するために、
討ち取った敵の首を足で蹴って転がしながら持ち帰ったことが
始まりとも。。

ちょっと疑わしいですが、
こじつけにしてもそういった伝説が生まれるほどの
できごとだったのでしょう。


十字軍はエルサレムを奪還し、
その地にエルサレム王国など4つの国を建設しました。

セルジューク・トルコ帝国がこれらを攻撃したため、
第2回の十字軍が派遣されましたが撃退されました。

その後、国内の分裂で弱体化したセルジューク・トルコに代わり、
登場したのが、エジプトの新政権アイユーブ朝のサラディンでした。

彼の活躍でエルサレムはイスラムの手中に落ちたので、
次には最大の十字軍帝王十字軍が派遣されることになりました。

イギリス・フランス・神聖ローマ帝国(ドイツ)の国王や皇帝が、
自ら軍を率いて行った帝王十字軍(第3回十字軍)も敗退しました。

教皇インノケンチウス(インノセント)3世は、
帝王十字軍の失敗を見て、第4回の十字軍を提唱しました。

しかし、この十字軍は、
自分たちのスポンサーであるベネチア商人に利用されてしまいます。

なんと、同じキリスト教国である
ビザンツ帝国の首都コンスタンチノープルを攻撃し、
ここにベネチアの傀儡政権であるラテン帝国を樹立しました。

十字軍兵士らは、ベネチアの商敵であるビザンツ帝国を占領すれば、
略奪品を折半するとの約束でこれを引き受けたのです。

あまりの堕落に教皇は、自ら提唱したこの十字軍
破門せざるを得なかったのです。

インノケンチウス3世はまた、南フランスのカタリ派
(カトリック協会の腐敗を批判し改革を求める一派)
に対する十字軍を起こし、徹底した虐殺で彼らを抹殺しました。

さらに、カトリック教会は、ユダヤ教徒を異端としたため、
十字軍は各地でユダヤ人を虐殺し、彼らの財産を略奪したのです。

十字軍はエルサレム向けだけではなかったのです。

二世紀にわたり、7回送られた十字軍は、結局、
聖地を確保できずに失敗に終わったのです。


当時(11世紀)エルサレムは、
セルジューク・トルコ帝国の支配下にありました。

この帝国は、
中央アジア・イラン高原・小アジア・アラビア半島
の一部を支配する大帝国を築き、
名宰相といわれたニザームル=ムルクの学芸保護政策のもとで、
イスラム文化が花咲いていました。

イスラム世界の祭神といわれる詩人オマル=ハイヤームが
活躍したのもこの頃でした。

この優れた文化をもち、平和的に繁栄していたセルジューク・トルコに、
突如、外国の軍隊が侵入してきたのです。

それが十字軍でした。

1096年に海路と陸路からエルサレムに進撃した第一回の十字軍は、
1099年、3万の軍隊でエルサレムを占領しました。

十字軍兵士が、

「町の街路や広場には、首や手足が累々としてあった。
 ・・・ソロモン宮殿の中では、騎兵の膝まで、
 馬の手綱までも血に染まった」

と記しています。

侵略軍はすさまじい残虐行為を行ったのです。

十字軍を提唱した教皇ウルバヌス(ウルバン)二世は、
聖地エルサレムをイスラム教徒から奪い返すためであると
呼びかけました。

一方で、エルサレム周辺は、
聖書に記されている「乳と蜜の流れる国」であり、
その豊かな国を自分たちのものにしようとも演説しています。

この時期のヨーロッパは温暖期に入っており、
農業生産力が増大し、人口も増えつつありました。

また、封建制度の確立期であるこの頃は、長子相続制が普及し、
長子以外の土地をもたない騎士が激増したため、
社会不安も高まっていました。

彼らに与えるための新たな土地が求められていたのです。

十字軍の発動には、このような事情があったのです。


十字軍に関する映画は多いし、
聖地エルサレムをめぐる争いは、現代においても続いています。

その十字軍について簡単に述べておきたいと思います。

十字軍は、異教徒イスラム教徒に支配されたキリスト教徒による
聖地エルサレムを奪還するとの名目で、
約200年の間に7回行われました。

これは、ヨーロッパの他世界への拡大・膨張の始まりとなりました。

十字軍は、キリスト教の異教徒征服に対しても派遣されたのです。

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