透明な存在
10年くらい前、酒鬼薔薇と名乗った少年の犯行がありました。
その声明の中の「透明なボク」
これは日本のキーワードの一つでしょう。
ずっと昔から透明な自分を感じる人、
透明でなければいけない社会に
疑問を持った人もいたことでしょう。
この先、数十年や数百年後にこのフレーズを知った人は、
「えっ?こんな時代があったの?」と思うのか、それとも、
「やっぱり昔から何にも変わってないな」と思うのか。
おそらく後者だと思われます。
確かに、特に男の子なんかは、
小学校の時はのびのびとしていたのに、
中学に入ると、重たい物を感じたりする。
何でか分からなかったですが、
今思えばそういう透明さ(横一直線)
を求められていたからでしょう。
いざ、自己を確立しようとする時、
いい意味の個人主義じゃなく、ただのわがままな自分主義が出てしまう。
横並びから抜け出したい衝動は私も常にありました。
だからといって、もちろん、
実際に一線を超えて犯行する理由にはなりませんが。



